沖縄って、いつまで琉球やったんやろう?ノロとユタの違いも不思議やし、現在の会社名に、琉球新報、琉球日産とか琉球がつくのと、沖縄トヨタ、沖縄セルラー、沖縄伊藤園と沖縄がつくのもある。ほんまいろいろ不思議なことが多いわ。
たこん、沖縄にはたくさん不思議なことがあるね!まずはウチナンチューがどこから来たかみてみようよ!沖縄には世界最古の化石もあるんだよ!とっても古い時代から人類が住んでいたんだよ!
項目が多いから目次を閉じたり飛ばしたりしてみてね!
沖縄の信仰・文化 沖縄の疑問 わかりやすく 歴史から紐解く グスク・ノロ・ユタ・古琉球・琉球終わり・戦争・基地問題・交通
■沖縄の疑問を歴史から紐解く
人類の始まりは、20万年前のアフリカとされています。
アフリカから、世界各国に人類が移動して現在に至ります。
■旧石器時代の沖縄
1万年前は氷河時代でもあり、海面が今より100m低いので、中国大陸と陸で続いていたと推測されていて、それを証拠づける人骨化石が沖縄にはたくさん出土しています。
大昔は大陸が繋がっていた。
3万6千年前 山下洞人(やましたどうじん)
那覇市で鹿と女児の骨が出土
日本最古の人骨化石
2万2千年前 港川人(みなとがわじん)
八重瀬町 化石人骨が出土 (沖縄県立博物館にて保管)
これらの祖先にあたるのは、オーストラリアのアボリジニに似ているとされています。
石垣島の白保竿根田原遺跡からは全身の人骨が出土。
宮古島でも3万年前のピンザアブ洞人の化石人骨が出土しています。
石垣、宮古ではフィリピン南方文化に近いと言われています。
九州奄美から縄文人がきて、縄文文化が始まります
名護には9000年前の世界最古の釣り針の遺跡が出土しています。
■貝塚文化(約9000年前から1000年頃まで)
沖縄では日本列島の弥生文化の稲作文化は広がってなく、
サンゴ礁が作り出すイノーの浅瀬の恩恵で、貝塚文化が始まります
2千年前 黒潮の貝の道で、貝でつくられた腕輪や首飾りなど沖縄の貝工芸品は、日本列島の弥生文化に届けられています。
この沖縄の貝塚文化は日本本島では平安時代にあたる、1000年ごろまでとても長い間続きます。
仲原遺跡、伊計島の中央に貝塚時代中期(約2000年前)の集落跡があります。
日本の歴史、平安時代は貴族時代で政権争いでドロドロした時代だけど、沖縄ではこの時代まで貝塚文化が続いていたということは、自然と馴染んでいて、とても暮らしやすかったのかもしれないね。
現在の都会生活も、人間関係でぎくしゃくすることが多いから、自然豊かな沖縄はこういう本来の過ごし方が一番いいのかもしれないね。
■グスク時代(11世紀~15世紀)沖縄の信仰・文化
約1000年ごろ 城(グスク)の建設がはじまる
九州では中国との貿易が盛んで、沖縄の交易も広がってきます。
農作物の栽培や、焼き物の技術も伝わり、農耕社会を基盤としたグスク時代が始まります。
沖縄の各地では、交易で力を付けたリーダーが出現します。
そのリーダーを「按司(あじ)」と呼びます。
グスクの用途
1、按司の住処
2、集落の共同生活場
3、聖域の墓や拝所
このころから、集落がしっかり形成されて、御嶽信仰などが盛んになっていくんだね。
御嶽信仰(うたきしんこう)と神人(かみんちゅ)と火神(ひぬかん)
御嶽信仰(うたきしんこう)
沖縄本島の村落には必ず御嶽(うたき)と呼ばれる聖地があります。御嶽には神様が住んでいて祀られます。その神様は村落の人々を守護してくれます。
神人(かみんちゅ)
祝女(ノロ)
女性司祭者で、御嶽やグスク等の聖地・御願所・拝所(ウガンジュ)で祈りを捧げる神官(しんかん)
ユタ
シャーマンとして死霊の憑依を受ける呪術を行い、お告げを述べる民間の宗教的職能者。口寄せ巫女(みこ)と呼ぶこともある。
祝女(ノロ)など神官から分化したという考えが多いみたいです。
火神信仰(ひぬかん信仰)
火神(ひぬかん)は日神(てだ)と同一視され、
按司(アジ)や国王の実権を表す役割を持つようになります。
沖縄にはいろんなところにグスクが残っているのは、当時の生活でいろんな用途があったからだね!
祝女(ノロ)は、国が管理している神官で、ユタは民間の霊能者なみたいな人やね。
■古琉球(こりゅうきゅうじだい)沖縄の信仰・文化
グスク時代から沖縄統一を経て、薩摩侵略までの時代
・琉球は中国に属する名称でもある。
・沖縄は方言で「うちなー」と呼び、13世紀平家物語にも登場している昔ながらの呼び方。
① 三山時代(さんざんじだい)
北山(今帰仁を中心)
中山(浦添を中心)
南山(大里を中心)
沖縄には3人のリーダーの按司が出現する。それぞれが大型グスクを築いて、3つの国に分かれていた時代。
1372年 中国との朝貢時代の幕開け
※1372年中山の察渡(さつど)が、
中国の明に初めての朝貢(ちょうこう)をして、
中国から中山王の称号をもらう冊封(さっぽう)で貿易が始まります。
その後、北山、南山も朝貢して中国から称号をもらう。
中国に貢物(みつぎもの)を持って朝貢をするのなら、中国は属国の証明を琉球に与える柵封(さっぽう)をします。そして中国から貿易がみとめられます。後に沖縄が日本国に合併となると、中国との関係を続けることを日本が禁止することになります。
琉球は中国からの呼び名とも解説されているね。
沖縄は島国だから、鉄などの資源が乏しいから、貿易で資源を入手する手段が必要だったんだろうやね。
② 1429年 中山の尚巴志(しょうはし)が沖縄統一
琉球の歴史書「中山世艦」
沖縄を統一した、中山が1650年に編纂した歴史書「中山世艦」(ちゅうざんせいかん)
この中山世艦に書かれている歴史をみると、現在の祝女(ノロ)とユタの関係もわかってくるね。
ここから三国時代を制した、中山からみた沖縄の歴史です。
■天孫氏王統(~1186年)
神話 天孫氏王統(~1186年)
天帝の命をうけた「阿摩美久」(あまみく)が下界に降りて島をつくる
男子3人、女子2人の神を住ませる
長男 天孫
次男 按司
三男 百姓
長女 大君のはじめ
次女 ノロのはじめ
第25第の王が臣下の利勇(りゆう)に殺され幕を閉じて、
次の舜天王統(しゅんてんおうとう)へと繋がります。
日本書紀の天孫降臨ににているよね。この中山世艦は三山統一してから、1650年と、かなり後になってから作られているので真実かどうか、定かでない内容が多いみたいだよ。
■舜天王統(しゅんてんおうとう)1187年-1259年 3代 73年
1代 舜天(しゅんてん)1187-1237 沖縄最初の国王
浦添の按司の尊敦(そんとん)が利勇を倒して、舜天王となる。
伊豆諸島から源為朝(みなもとのためとも)「牛若丸こと源義経のおじさんにあたる人」が今帰仁の運天港流れついて、大里按司の妹との間に出来た子の尊敦が舜天王になったという伝説の話。
源為朝の伊豆大島の流罪の話は全国いろんなところで言い伝えられているなぁ。
2代 舜馬順熙(しゅんばじゅんき)1238-1248
3代 義本(ぎほん)1249-1259
国頭村と北中城村に墓がある。
沖縄が飢餓飢饉に見舞われて、王位降りる。
そして、次の英祖の時代に変わります。
■英祖王統(えいそおうとう)1260-1349 5代 90年間
母が太陽を見て懐妊英祖日子(えいそでだこ)の英雄説話
1代英祖(えいそ)
・浦添城を築いた
英祖のお墓は、浦添ようどれにあります。
【仏教の影響】禅艦(ぜんかん)沖縄最初のお寺「極楽寺」
13世紀 禅艦(ぜんかん)沖縄最初のお寺「極楽寺」を浦添に建築 仏教伝来
現在の浦添中学校に龍福寺跡があります。
僧侶たちから文字が伝来する。
この文字の伝来で琉球文化が開花されていきます。
2代大成(たいせい)
3代英慈(えいじ)
4代玉城(たまぐすく) 酒飲みで治世が乱れ
5代西威(にしい) 幼くして引き継ぎ衰退
■察度王統(さつどおうとう)1350-1406 2代 57年間
1代 察度(さつと)
「羽衣伝説」
天女と結婚した「羽衣伝説」があります。宜野湾市森川真志喜に「森川」という泉が県指定文化財で残っています。
1372年 中国の明に初めての朝貢
・朝貢(ちょうこう)とは、中国の皇帝によって諸国の王として地位を承認してもらい、皇帝に忠誠をちかう証として貢使を送り、貢物(みつぎもの)をささげること。
その時に生まれた中華系商人が現在の華僑(かきょう)になるといわれています。
・この時はまだ三山時代
・察渡は中山で浦添城
【仏教の影響】 頼重法印(らいじゅうほういん) 波の上に護国寺建てる
波之上に護国寺が建てられる
2代 武寧(ぶねい)
・首里城に移った。
まだ三山の時代
・南山 承察度(しょうさっど)も朝貢で南山王
南山城跡が遺跡であります。
・北山 怕尼芝(はにじ)も朝貢で北山王
今帰仁城が遺跡であります。
まだ、三山時代です。次に沖縄統一の時代へと変化していきます。
■第1尚氏 1406-1469 7代 64年間
尚巴志(しょうはし)
佐敷按司(さしきあじ)となり、
1406年 武寧を討って中山の王になる。
北山 今帰仁 攀安(はんあん)を戦いで破る。
南山 糸満 他魯毎(たるみい)も破って三山統一
1429年 三山制覇して、沖縄を統一
中国から正式に琉球の国王と認められ、
尚という姓を与えられた。
・首里城周辺を整備した
※中国の有能な懐機(かいき)を王相の役職に就ける
後継者争いがでるも、
・尚泰久(しょうたいきゅう)が引き継ぐ
仏教を重んじて寺社を建立、
万国津梁の鐘はじめ、梵鐘を設置
【仏教の影響】
・芥隠(かいいん) 京都南禅寺からきた僧侶、臨済宗
・日秀上人(にっしょうじょうにん)金武に観音寺を建てる
しかし、庶民には仏教は浸透しなかった。
■第2尚氏 1470-1897 19代 490年間
初代 尚円(しょうえん)
尚円は金丸(かなまる)と呼ばれ、
玉陵(たまうどぅん)が那覇市首里金城町にあるお墓です。
玉陵(たまうどぅん)は、沖縄最大のお墓
■玉陵の場所
2代 尚真(しょうしん)
尚円の子供の尚真が50年統治して基盤を固める。
13世紀 第2尚氏の時代
尚真が仏教を奨励して、50年沖縄を統治
この時、日本列島から来た僧侶が文字を沖縄に伝える。
琉歌「8886」の30文字など文化が開花
琉球の黄金時代を開花させた。
仏教の僧侶さんたちが文字を沖縄に伝えてくれたから、沖縄にも琉歌などの文化が芽生えだんだね。
600年頃の弘法大使空海さんも遣唐使で中国に渡って日本に戻って、仏教以外にも治水技術や教育できる学校とかのノウハウも持ち帰っているんやで~。
身分制度を整えて、中央集権制度にしていく。
・ハチマキの色で身分がわかる身分制度を作る。
・中央集権体制が整うように、各地の按司を首里に済ませる。
・祭祀を司る神女職(しんじょしょく)は王の姉妹を最高神女の聞得大神(きこえおおかみ)にして、各地のノロ(女性司祭者)を統制下において組織化していく。
武力も神の力をもらう祭祀も、権力を集中させていったんだね。
【尚真は仏教を奨励】
臨済宗 円覚寺(えんかくじ)を建築する 僧侶 仙岩(せんがん)
沖縄戦で破壊されたが一部復元されている。
第7代の王(尚真からは4代目) 尚寧(しょうねい)の時代
1609年 薩摩の島津藩が徳川家康の許可を得て、琉球を侵略する。
これから260年間薩摩の支配下となる
尚寧のお墓は、浦添ようどれにあります。
③ 1609年 薩摩侵略 (徳川家康が天下統一して命令を下す)
■この時代の沖縄の有名な人物
野国総官(のぐちそうかん)
野口総官が中国からイモを持ち帰る。
儀間真常(ぎましんじょう)
儀間真常が沖縄でイモの栽培を広める。
それが薩摩に伝わりサツマイモ。
さらに黒糖づくりも広めていった人物です。
1650年 羽地朝秀(はねじちょうしゅう)「中山世艦」
沖縄発の歴史書「中山世艦」(ちゅうざんせいかん)を編纂する。
日琉同祖論(にちりゅうどうそろん)、日本と琉球の言葉や文化は似ていて同じ。
1682-1762 蔡温(さいおん)
蔡温は具志頭親方(ぐしちゃんおやかた)とも呼ばれ、
27歳のとき中国に留学して、沖縄にもどり、治水や農地開拓をして第二の黄金時代を築いた人物
「御教条」(ごきょうじょう)は当時の人々の道徳の教科書として使われた。
1663-1734 程順則(ていじゅんそく)
程順則は、名護聖人の名護親方(なごおやかた)とも呼ばれる。
中国に4度行き、六諭衍義(りくゆえんぎ)を徳川吉宗に献上して庶民教育の教科書として日本にひろめた。
日本本土にも来て、新井白石と対談、日本の寺子屋を見て、沖縄に初めての学校「明倫堂」(めいりんどう)を久米村の孔子廟内に建てる。
宜湾朝保(ぎわんちょうほ)
宜湾朝保は廃藩置県の琉球国王から琉球藩王にかわることで、
薩摩からの支配が無くなることと思い受け入れを促進した。
その後も中国と朝貢を続けていたことに対して日本から処罰が下る。
1872年 琉球処分で琉球の幕が閉じる
■薩摩侵略以降、琉球処分まで
中国との貿易も継続して日本列島と日中両属(にっちゅうりょうぞく)の関係を続ける。
1853年 アメリカ、ペリー来航
日本列島は鎖国から開国へ、江戸幕府から明治維新へ激動、そして第一次世界大戦へ突入
1879年まで 沖縄は中国清の皇帝から位を与えられている。
1879年 松田道之 廃藩置県で、琉球藩の廃止をして、沖縄県の設置「廃琉置県」
1880年 琉球併合(琉球処分)
しかし、中国の清国もいままでの沖縄との関係があるので要望をだします。
※ 中国清国の要望
1、奄美列島は日本の領土
2、沖縄本島は琉球で存続
3、宮古・八重山は中国
※ 日本の要望
1、沖縄本島より北を日本の領土
2、宮古・八重山を中国領土
3、中国本土で日本人の商業活動
中国も日本もどっちとも、宮古・八重山は中国の領土で認識していたんや。驚きや。
1880年中国の北京で調印の段階になると中国である清国は、中国本土で日本人が自由に商業活動することに対して懸念をしめして、その話し合いは棚上げになりました。
師範学校が建てられ、尋常小学校の義務教育など、
沖縄の風習・風土を日本本土と統一が開始されていく。
このころから、国家主義教育や、皇民化教育が沖縄で強化されていく
1894年 日清戦争が始まり日本が勝利
1924年(大正13年)沖縄神社 首里城に拝殿を作り国宝になる。
1929年 世界大恐慌で沖縄のソテツ地獄の不景気になる
ハワイ、フィリピン、南米など海外への出稼ぎ者も増えた時代
この海外に行った時代の話は今帰仁城で、仲嶺さんに聞いた話。貴重な体験談を聞けてありがとうございました。
1944年 御嶽(うたき)も神社にかわり、鳥居がつけられていく
1945年 第2次世界大戦 敗戦
沖縄はアメリカの占領統治となる。
■沖縄戦の詳細
1944年
3月 沖縄に飛行場建設
7月7日 沖縄から南九州と台湾に10万人を疎開
弱者の強制退去
8月22日対馬丸遭難事件 1500名死亡 疎開中の舟が撃沈される
10月10日那覇市街9割焼けた
1945年
1月20日沖縄戦攻防
3月下旬 根こそぎ戦争に動員
3月23日 アメリカ軍1週間で4万発砲撃 鉄の雨
3月26日 慶良間・座間味にアメリカ軍上陸
3月27日 渡嘉敷島アメリカ軍上陸
4月1日 沖縄本島 読谷山・北谷上陸
4月2日 石川に進出
4月5日 宜野湾より北側制圧
4月13日 辺戸岬 到達
4月16日 伊江島上陸
4月21日 伊江島制圧
5月下旬 沖縄難民を東海岸に移す
6月18日 学徒隊解散命令
6月22日 沖縄戦略終結
6月23日 牛島満司令官 自決
7月2日 残戦兵がまだ洞窟で戦闘
7月26日 ポツダム宣言
8月4日 沖縄北部掃討終了
8月6日広島原爆投下
8月9日長崎原爆投下
8月15日終戦
沖縄戦 20万~25万人死亡
戦争はほんまにあかん。いろんな立場や理由があったとしても、「人が人を傷つけるような考え方が絶対にダメ」ということをもっと知らないとあかん。
怒りの気持ちを入れ替える、
《実践方法はこちら》「慈悲喜捨」(じひきしゃ)の瞑想
1952年 【琉球政府時代】
アメリカは沖縄の地名を使うことを避けて、琉球の名前を使う。
この時期に沖縄で設立した会社や社名を変更した会社が多い。
琉球新報、琉球日産など、琉球を使った会社名が現在にも残る。
軍事教育から平和教育へかわる。
1972年 5月15日沖縄の祖国復帰
■軍事基地の問題
しかし、アメリカ軍の基地が沖縄に残る
1972年 日米安全保障条約の沖縄への適用「米国へ軍事基地の提供」
公用地暫定使用法
↓
1987年まで 米軍用地特別措置法で強制使用
↓
アメリカ兵の事件多発
1997年 新ガイドライン
1999年 ガイドライン関連法 自衛隊も医療や物資などで軍事協力
アメリカ軍の基地の15%は整備されて日本に返還されるも、
現在も日本にあるアメリカ軍基地の70%が沖縄に存在していて、
日本政府が維持費の70%を出している、
このいびつな現状が問題視されている。
■交通事情 1978年7月30日 右側通行から左側通行に変わる
戦争後アメリカ軍が右側通行に変更して交通法も定めていきます。1972年祖国復帰で、日本本土に合わせた右側通行から左側通行に戻りました。
沖縄では、運転や横断するのが難しい交差点が多いので運転には気を付けてくださいね!
沖縄のニュースで酒を飲んで道で寝てしまいひかれるという事故のニュースもちょくちょく見るから気をつけてや~。飲酒運転も絶対あかんでー!宮古島では飲酒で捕まると新聞に載るからね。
《参考文献①》
カラーでとても読みやすくわかりやすいのでおすすめです。
新訂ジュニア版琉球・沖縄史 (沖縄をよく知るための歴史教科書)
《参考文献②》
1985年と少し古い本でしたが、逆に1972年戦後復帰からまだ時代が近いので、当時の雰囲気が感じることができる一冊でした。
沖縄の戦跡と軍事基地―平和のためのガイドブック (1985年)《参考文献③》
これも1985年と古いですが、児童書でマンガに加えて、写真の解説もあるので、とても楽しく理解しやすいです。お子さまにもおすすめ。
沖縄の偉人―まんが歴史事典 (1985年)