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6月23日は沖縄慰霊の日 平和祈念公園と平和祈念資料館、ひめゆりの塔で戦争の惨劇を学んだ

沖縄平和祈念公園

6月23日は沖縄慰霊の日 平和祈念公園と平和祈念資料館、ひめゆりの塔で戦争の惨劇を学んだ

6月23日は沖縄の慰霊の日

1945年6月23日に旧日本軍の戦闘が終結した日にあたり、

沖縄県では1961年から慰霊の日に制定されました。

令和2年6月23日という日が、こんなに、いままでの私の戦争観を変えてしまうとは思っていなかったです。

《写真》2020年慰霊の日

慰霊の日ということで、ちょっと前から旦那のぼーさんが、慰霊の日に平和祈念公園に行きたいと言っていたので、最初はとくに軽い気持ちで、沖縄に移住して、やれ自然が、魚が、海がきれいだだの、アメリカ風のお洒落なお店に行ってきただの、ただの表面的な文化しか楽しんでこなかったので、ここらでちゃんと沖縄戦についての知識と歴史の共有をして、本当の沖縄の人のソウルをすこしでも胸に刻みたいという思いでわたしも同意しました。
当日はたしか11時半から式典がスタートするものだと思っていたので早起きして、午前9時過ぎには自宅を出発しました。天気はかろうじて持ちこたえているといった感じの薄曇りの天気で、高速に乗って糸満の摩文仁(まぶに)の丘を目指していきました。

■過去に来た平和記念公園

じつは私の信仰している仏教教団は、ここ平和祈念公園で毎年戦没者のご供養のお護摩を焚いているのでした。わたしも不思議なご縁ながら、大学生のときにも何回か教団の修行でこのご供養の行事に参加していたのでした。
そして、今となっては、恥ずかしながら歴史の表面だけをなぞったような知識だけで安易に世界平和を願ったりしていた過去の自分を想起するのでした。

会場に早めにつくと、関係者だけがはいれる特設会場が設置してあり、見学者は外から見るようなスタイルになっていました。じめじめとした湿気と暑さの中、ちょっと休憩しながらどこらへんが見やすいかを散策しながら平和祈念公園を一周しました。沖縄平和祈念資料館も当日は無料ということだったので、ぼーさんがあとで見に行こうと言いました。
黒い服装の人たちが多くて、わたしも少し正装に準ずるような格好にして、ぼーさんは控えめな柄のかりゆしを着ていました。
開始が思っていたより20分遅い11時50分からということがわかったので、すこし軽めの昼食をと思い、近くの売店でおにぎりを買って売店の外の席で食べました。
特設会場がすぐ見えるところだったので、琉球新報新聞の号外を渡されました。

式典が始まる少し前には移動してガジュマルみたいな木の近くで立って見学しました。12時の時報とともに黙祷を捧げます。このときはまだ沖縄戦の凄惨な事実をはっきりとは知らなかったのですが、4人に1人は犠牲になったという数字だけの事実だけでも、ほとんどの沖縄の人が沖縄戦の関係者であり、ご遺族であるということが分かります。おそらくコロナの影響で通年よりも縮小されて開催されたこの式典に、当日、お参りに集まっている人すべてがご遺族であってもおかしくないんだと感じました。内地出身のわたしとぼーさんでさえ、祖父が戦争に行っています。両方とも戦争から戻ってきているのですが、そういう意味でも沖縄戦で亡くなられた人数は感慨深く、周囲を見回すと、おそれおおいようなそんな気持ちになりました。

■式典の内容

慰霊の日の式典の内容は、沖縄県知事の話、日本国首相の挨拶、広島原爆の広島県知事、長崎原爆の長崎県知事・国際連合の要人からのビデオでの挨拶でした。地元沖縄県の女子高校生の自作の平和を望む詩の朗読もされて、いろんな人の恒久平和への思いをきき、約一時間の式典が終わりました。

式典がおわったと同時に雨がザァーと降り出してきました。空が浄化の涙を流している感じでした。

■平和祈念資料館

《写真》平和祈念資料館

その後、平和祈念資料館にいきました。何回かこの平和祈念公園には来ていたのですが資料館にはいるのは初めてでした。ここも慰霊の日は特別に無料で入館できるとあって、二階の特別資料館はけっこう人も入っていたのか、コロナで人数制限をしているためか、待ち時間も多少あったので、一階にあるコーナーで、沖縄戦をいろんなかたちで体験した人たちの貴重な音声での資料を視聴いたしました。千人以上の膨大な人数の戦争体験談で、戦争当時の年齢や、学徒だったのか、兵隊だったのか、どういうかたちで関わっていたのかをピンポイントで検索して閲覧できるようになっていました。
最初いくつか視聴していたのですが、お話されているかた、ほとんどがご高齢で80歳以上なので、男の人に限っては、活舌もわるくききとりにくかったです。当時ひめゆりの学徒さんだった方の体験談を拝聴したところ、口調もしっかりされていて、驚くほどの頭の切れと明瞭な言葉でした。
このあと、ひめゆりの塔にもいくのですが、このときの明瞭なインタビューが印象的だったので、がぜん興味がわいたのでした。
もうひとつ印象的だったのは沖縄出身の日本人で小さいころに両親と一緒にハワイに移住して、アメリカ側の兵として沖縄戦に参加されたかたの体験談でした。
この方は戦争で沖縄に配置されるとは思っていなかったらしく、最初に志願した部隊には健康面で落とされて、つぎに採用されたのが日本語の通訳兵としての任務が主な部隊でした。その部隊が偶然にも沖縄に配置されたことに運命の不思議さを感じたとのことでした。沖縄にいる祖父母と、5歳の時に祖父母に預けられた弟を探し出したという体験談で、アメリカの軍の援助もあって、なかなかに恵まれた環境のなかでの沖縄戦を語っていました。物質にも困っていなかったようで、探し出した祖父母のために物資も供給していたとのこと。弟は捕虜となってハワイに送還され収容所にいられていることがわかったので、連絡をとりあって、弟を解放したことなど語られていました。
最初のほうで視聴した沖縄県民の凄惨な生き残りの体験談と、アメリカ兵から見た沖縄戦の大きな違いをかんじたのがとても印象的でした。

しかし、このアメリカ兵のかたも、久米島での任務で広い敷地が必要なので、現地の久米島にあったお墓を焼き払ってしまったこと、沖縄では先祖をとても大切にする文化があるので、そんな大事なお墓を焼いてしまったことや、久米島の島民の自決に関して、ものすごく後悔の念を吐露されていました
どんな立場の人であれ、戦争に関しては、肉体的な苦しみだけでなく、自責の念、愚かであったことへの後悔など等しく吐露されているなぁと感じました。
さて、ここまではまだわたしの精神的な面では、まだ戦争の悲惨さ、どうしようもない、絶望までの心情には至っていなかったです。

■平和祈念堂

この大きな塔のなかには、沖縄出身の山田真山(やまだしんざん)さん作の、

人間の理想像をモデルにした漆喰塗りの大きな菩薩像が祀られています。

ここからが本番だといわんばかりでした。平和祈念堂でも圧倒的な大きさの合掌仏を高く見上げ、一緒に恒久平和を祈って手をあわせたあとにむかったのは、ひめゆりの塔です。

ひめゆりの塔へ続きます。

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